「入学前に青学のパーカー買うつもりでした(笑)」“青学オタク”の少女が踏み出す夢への第一歩【北沢蘭|ミス青山コンテスト2024】

今回は、ミス青山コンテスト2024エントリーNo.4の北沢蘭さんにインタビューしました!

北沢蘭(きたざわらん)

北沢蘭

ミス青山コンテストエントリーNo.4。総合文化政策学部総合文化政策学科4年。

『天才てれびくん』に憧れて

父親がイギリス人、母親が日本人のハーフで、“お嬢様”という言葉がピッタリな雰囲気の北沢さん。子どもの頃はおしとやかに育てられたのかと思いきや、「めちゃくちゃわんぱくな子どもだった」という。

「変なものいっぱい作ったり、ドッキリの準備に死ぬほど時間かけたり、子どもの頃はすごく悪い子だったと思います…(笑)」

イギリスにはブラックジョークという、とにかく皮肉を言う文化があり、北沢さんはそんなブラックジョークが大好きな子どもだった。

「さすがにいっぱい怒られたので、今ではかなり大人しくなったと思うんですけど、逆にお母さんはそれが『寂しい』って言ってましたね(笑)」

北沢蘭

そんな北沢さんには、小さい頃から一つの夢があった。

「芸能界には物心ついたときから憧れがあって、幼稚園のときに作った七夕の短冊に『モデルさんになりたい』って書いてたんですよ」

憧れを抱いたきっかけは不明だそうだが、北沢さんの中で芸能界への憧れは日に日に大きくなっていった。

「小学生のころは『天才てれびくん』っていう番組にドハマりしていて、『私も出たい! テレビ戦士になりたい!』ってずっと言ってたんです

しかし、芸能活動と学業の両立は容易ではない。母親からの助言もあり、悩んだ末に、いったんは芸能活動への挑戦は断念した。

“青学オタク”の逆襲

その後、北沢さんは芸能界への憧れを持ちながらも普通の学生生活を過ごしていた。そして中学、高校に進み、いよいよ大学受験となった際、志望校選びはかなり悩んだという。

「幼稚園から高校まで付属の学校に通ってたので、本当に勉強してなくて。高校1年生の最初の模試で国語は学年最下位、数学は下から5番目の成績だったんですよね…

勉強をサボっていたツケから普段の授業にもついていけず、当時はかなりストレスが溜まっていたそう。

そんな状況を脱し、少しでも勉強のモチベーションを上げるために行ったのが青学のオープンキャンパスだった。

北沢蘭

「青学の他にも5校ぐらい見に行ったんですけど、青学入った瞬間に『あ、絶対ここに行きたい!』って思ったんです

まさに青学に一目惚れをした北沢さんは、そこから猛勉強をスタート。高校1年の冬から塾に通い始め、暇があれば自習室で勉強する日々を送った。高校3年の受験シーズンには毎日10時間は勉強した。

また、勉強のモチベーションを保つために、自ら青学の缶バッジやストラップを購入してリュックに付けていたそう。

青学のパーカーも買おうとしてたんですけど、『さすがにそれは受かってからじゃない?』って母に止められました(笑)

ちなみにこの件の青学パーカーだが、青学らしいオシャレなパーカーというわけではなく、背中に「青山学院大学」の文字が入った部活生が着るようなものだそう。このパーカーを入学前に買おうとしていたのだから、北沢さんの青学愛(?)の強さがうかがえる。

そして、そんな“青学オタク”として青学への愛を貫き通した北沢さんは、見事、青学の総合文化政策学部に現役合格を果たした。

念願の芸能活動スタートも…

憧れの青学に合格した北沢さんだったが、実際のキャンパスライフは「思っていた感じとは違った」という。

「高校まではどちらかと言えば地味なほうだったので、毎日オシャレな服着て、大学終わりにオシャレなカフェ行って、楽しいサークル入ってワイワイしてみたいな、私がイメージしていた青学生にはなりきれなくて…

北沢蘭

高校生のときに見ていた”キラキラのお姉さん”にはなれなかった北沢さんだが、大学生になって制約がなくなったことで、幼稚園の頃から憧れていた芸能界への挑戦を決意。スカウトを受けた事務所数社と面接し、大学2年から本格的に芸能活動をスタートさせた。

とはいえ、芸能界は簡単に成功できる世界ではない。オーディションは落選が続き、有名ドラマやテレビへの出演が決まっても、映る時間は0.1秒程度。「北沢蘭」の名前を認知してもらうには、あまりにも物足りないものだった。

「何か飛躍するキッカケが欲しい」

そう思っていたときに見つけたのが青山ミスコンだった。

「ミスコンに出れば何か変わるかも!」

しかし、当時北沢さんは既に4年生。多忙を極めるミスコン出場を選べば、ほぼ間違いなく就活はできなくなる。すなわち、北沢さんにとってミスコンに応募することは、新卒就活を諦めることを意味していた。

「就活か、芸能か」

悩んだ末、北沢さんはミスコンに応募し、芸能活動を続ける道を選択した。

北沢蘭

理想と現実の狭間で

書類審査と面接を経て見事にファイナリストに選ばれた北沢さんは、念願のミス青山ファイナリストとしての活動をスタートさせた。

チャンスを掴むために選んだ青山ミスコンだったが、「想像の5倍は大変だった」という。

「撮影や配信のスケジュール的な忙しさはもちろんなんですが、どうしても他のファイナリストと比較しちゃうので…」

加えて、ミスコンファイナリストに求められるイメージ像と、オタク気質な自分の個性とのギャップにも悩んでいた。

就活を捨てて背水の陣で青山ミスコンに挑んでいるだけに、どうしても結果は意識せざるを得ない。かと言って、”ザ・ミスコン”のような一般ウケする発信は、本当の自分ではない。

「ミスコンって、思っていたよりも辛いんだな」

北沢蘭

だが、最近は少しずつ「自分の個性を出していこう」と、活動方針を徐々にシフトできているという。きっかけは、小学生の頃から「尊敬するほど大好き」というゴールデンボンバーの姿を思い出したからだ。

「ゴールデンボンバーさんって音楽だけじゃなくて、ユーモアだったり、一工夫した何かを魅せるのがすごく上手いんです。なので、私自身もミスコンっぽいことじゃなくて、私にしかできない何かだったり、ユーモアが伝わる発信をすればいいのかな、って」

ミスコンファイナリストとして一般ウケする発信の仕方があるのも事実であり、北沢さんがその一般ウケする発信が苦手なのもまた事実だ。

しかし、北沢さんには北沢さんの個性や魅力がある。少なくとも、受かってもいない大学のパーカーを買おうとする高校生など、まあいない。それは紛れもなく、他のファイナリストにはない北沢さんの個性であり、ミスコン活動、ひいては芸能活動を続けるうえでの大きな武器になるのではないだろうか。

「ミスコン活動が終わったら、まずはモデル業を頑張って、TGCに出てランウェイを歩きたいです。あとは、今は舞台に出るために殺陣の練習にも取り組んでいるので、舞台女優としても頑張っていきたいんです!」

モデル/女優・北沢蘭の物語は、まだ始まったばかりだ。

北沢蘭

取材・文:ワダハルキ

撮影:けんを

Share
share